正解:③
正解:③
正解:②
正解:④
解説:フェルディナント2世は三十年戦争時の神聖ローマ皇帝。フェリペ2世はスペインの黄金期の国王。ニコライ2世は日露戦争、ロシア革命時のロシア皇帝。 もう一人のカトリック両王はイザベル1世。
正解:②
解説:当時タタールの軛といわれ、ロシアを支配していたキプチャク・ハン国に金で取り入り政敵を抹殺したり、金で土地を買い自らの力を強大にしたためこう呼ばれた。
正解:④
正解:②
正解:②
解説:金印勅書は神聖ローマ皇帝カール4世が発布したもので、選帝侯をマインツ・トリアー・ケルンの大司教とプファルツ・ザクセン・ブランデンブルク・ボヘミアの俗界諸侯の七人に定めた。ハノヴァーは1629年に追加された選帝侯で、ここからジョージ1世がイギリスに招かれてハノヴァー朝が成立した。ハノヴァー朝は第一次世界大戦中に、敵国ドイツ風の呼称を嫌ってウィンザー朝と改称され今に至る。
正解:②
解説:イヴァン4世(雷帝)はリューリク朝
正解:①
解説:エーリク7世はデンマーク王(兼スウェーデン王、ノルウェー王)。マルグレーテはその摂政として実権を握った。マルグレーテ女王(1世)と呼ばれることもあるが王位には就いていない。
正解:①
正解:①
解説:ハプスブルク家では唯一の王位簒奪。美術品収集や錬金術に没頭していたルドルフ2世は、国政を顧みなかったため、弟に王位を奪われた。ルドルフ2世はケプラーの庇護者として有名。
正解:①
解説:ドイツのヴィルヘルム2世は3B政策を推進しイギリスの覇権に挑戦したが、第一次世界大戦で敗れドイツ革命で国外に亡命した。ロシアのニコライ2世は日露戦争・第一次世界大戦のときの皇帝で、ロシア革命の際に処刑された。ジョージ5世は第一次世界大戦時のイギリス国王。ウィルヘルミナは1890〜1948年までの長期間オランダ女王であった。
正解:③
解説:ミエシュコ1世はピアスト朝の創始者でボレスワフ1世の父。ポーランドの現在の首都はワルシャワ。
正解:③
解説:ナポレオンが失脚すると、ウィーン体制下でブルボン朝が復活しルイ18世が即位した。彼の死後はシャルル10世が即位したが、専制政治やアルジェリア遠征により7月革命を誘発し、1830年に退位してフランスにおけるブルボン朝は終焉した。なお、ルイ16世・ルイ18世・シャルル10世は兄弟である。スペインでは今に至るまでブルボン朝が続いている。ルイ・フィリップは7月革命の際にオルレアン家から迎えられた国王。アンリ11世は存在しない。
正解:①
解説:マクシミリアンはオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ=ヨーゼフ1世の弟。 ヴィクトリアは第二帝国と言われた大英帝国が繁栄した時代の女王。 エリザベート(エリーザベト)はフランツ=ヨーゼフ1世の妻。
正解:③
解説:第二次バルカン戦争にて、セルビア、モンテネグロ、ギリシアに敗北したブルガリアはドイツ、オーストリア=ハンガリーに接近した。
正解:④
解説:日英同盟はロシアの南下政策を警戒するイギリスとロシアの満州、朝鮮への進出をくい止めたい日本が1902年に結んだ条約。
正解:②
解説:マルヌはドイツの侵入をフランスが防ぎ、シュリーフェン=プランが挫折した戦い。 ヴェルダンでは、ドイツ軍とフランス軍が塹壕戦を行った。 ソンムでは、イギリスが初めて戦車を使用した。
正解:①
解説:ヌイイ→対ブルガリア サン=ジェルマン→対オーストリア セーヴル→対トルコ の講和条約。
正解:③
正解:②
解説:常設国際司法裁判所の本部はオランダのハーグ、それ以外の機関はジュネーヴに置かれた。
正解:②
正解:③
解説:ワシントン会議において結ばれた四カ国条約を理由に日英同盟は解消された。
正解:③
解説:皇帝ニコライ二世の退位により、3世紀以上続いたロマノフ朝は滅亡した。
正解:②