正解:②
正解:①
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正解:②
正解:③
解説:法成寺入道左大臣日記は、御堂関白記の正式名称
正解:②
解説:実際には忠文到着前に平貞盛、藤原秀郷が鎮圧していた。
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正解:①
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解説:シャチのうろこは53枚、当時の価格で80万円、現在なら3億円相当になる。
正解:①
解説:ちなみに溶かされたのは終戦前日の8月14日だった。
正解:②
正解:①
解説:当時大学1年生で同時に鹿苑寺の徒弟であった。
正解:②
解説:足利義輝、従二位参議・近衛中将。一条兼定は官職で言えばトップの権中納言で従三位。武田晴信、従四位下大膳大夫・信濃守。北条氏康、従五位上左京大夫・相模守。上杉輝虎、従五位下弾正少弼。
正解:①
正解:④
正解:③
解説:賭博は花札。退職後は貴族院議員。衆議院議員を歴任した。
正解:③
解説:ちなみに日本側はその他の艦船も沈没したため4000人以上亡くなっています。なお米軍の死者は12人です。何とも無謀な戦いですね。
正解:②
解説:徳島県の坂東収容所のドイツ人捕虜によるもの。近隣住民を招いて演奏会を開いたりし交流は盛んで、住民は彼らを「ドイツさん」と呼び親しんだ。当時の所長の松山大佐は「捕虜たちは犯罪者ではなく愛国者である。敗者には武士の情けで接したい」と述べ、厚遇した。
正解:②
解説:実は伊藤家とは難波家は親戚。犯行前に伊藤家から借りたものだった。
正解:④
解説:おそらく皇室を呪って崩御した崇徳上皇に対する儀礼がこの頃まで残っていたと思われる。
正解:②
正解:②
正解:②
解説:第20代総理大臣・高橋是清は昔の五十円紙幣の肖像になっています。五十円紙幣は1951年に発行され、五十円硬貨が発行されるまで流通していました。発行期間は7年間ですが、流通した枚数も少ないために、古銭としての価値は高くなっています。
正解:③
解説:第61〜63代内閣総理大臣・佐藤栄作は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則を表明しました。1974年12月のノーベル平和賞の受賞理由として、「国を代表して核兵器保有に反対、またアジア太平洋地域の平和の安定に貢献した」ことによるものでした。
正解:③
解説:東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)は、唯一の皇族出身の内閣総理大臣。また、戦後初の総理大臣でもあります。
正解:①
解説:第17代内閣総理大臣の大隈重信は、武士として佐賀藩士の出身の政治家です。教育者としても知られ、東京専門学校(現:早稲田大学)を創立しました。
正解:③
正解:②
正解:③
解説:第19代内閣総理大臣・原敬(はら たかし)は、不景気と政党汚職に憤慨した国鉄大塚駅職員の中岡艮一により、東京駅にて刺殺されました。1921年の出来事でした。ちなみに伊藤博文は、総理大臣退任後に朝鮮独立運動家の安重根によって、1909年に中国・ハルビン駅にて射殺されました。
正解:③
正解:①
解説:2009年2月現在、山口県からは8人の総理大臣が輩出されております。伊藤博文、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三となります。ちなみに2位:岩手県(5人)、3位:群馬県(4人)となっています。
正解:④
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解説:岩倉は内閣創設の2年前に没しているので絶対に有り得ない。ちなみにその他の人たちは歴代総理大臣ではないが、三条は暫定内閣の首班、その他は臨時代理である。
正解:④
解説:9月2日に山本権兵衛内閣となるので、震災のあった9月1日はその前日なので、その前の内閣、つまり加藤友三郎内閣となる。しかし加藤友三郎首相は8月23日に病死しているので存在しない。よって答えとしては総理臨時代理となった内田康哉となる。
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正解:③
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正解:①
正解:②
正解:①
解説:桂太郎の2,886日です。