正解:②
解説:桶狭間の戦いがあったこの「桶狭間」は、現在の愛知県豊明市と名古屋市緑区有松町の2箇所に古戦場跡があります。はっきりとした場所はわかりませんが、この近辺、もしくは愛知県であると伝えられています。
正解:④
解説:今川義元に一番槍をついた武将は、服部一忠(服部小平太)ですが、ひざを斬られ、一番最初に義元の首をとったのは、毛利新助でした。
正解:④
正解:④
解説:今川軍の戦力・約25,000人に対して、織田軍の戦力は約3000人と言われています。織田軍の奇襲攻撃により、総大将の今川義元は戦死しました。
正解:②
解説:桶狭間の戦いは、永禄3年5月19日(1560年6月12日)に行われた合戦です。
正解:②
解説:沓掛城(くつかけじょう)は、尾張国愛知郡沓掛(現在:愛知県豊明市沓掛町)にあった城です。現在は、「沓掛城址公園」として城跡が残っています。
正解:①
正解:④
解説:今川義元が討たれた場所は桶狭間の中の「田楽狭間」と言われていることから、この名が別名となっています。
正解:②
解説:今川義元が京へ上洛するためといわれていますが、いくつかの説があるのでないかと言われています。
正解:②
正解:②
正解:③
解説:関ヶ原の戦いは、関ヶ原だけでなく日本全国で戦闘が行われました。その中でも大軍勢がぶつかった主戦場は、岐阜県不破郡関ケ原町にあります。
正解:④
解説:関ヶ原の戦いの合戦が行われたのは、1600年(慶長5年)9月15日です。
正解:①
解説:当日は目の前が見えない程の朝霧が出ていました。朝5時頃に全西軍が布陣完了、午前6時頃に全東軍が布陣完了します。しばらく両者にらみ合いをしていましたが、霧が晴れ始めた午前8時頃に井伊隊が西軍の主力である宇喜多隊に向けての発砲します。これにより戦いの火蓋が切って落とされました。
正解:②
解説:朝8時に戦いが始まりましたが、昼過ぎには東軍・徳川家康の圧勝となりました。
正解:③
解説:朝8時の戦闘から西軍の小早川隊15,000人の軍勢は、全く動きませんでした。ようやく動き出したのは、正午過ぎのことです。前々から徳川家康と内応していた西軍・小早川秀秋は、見方であるはずの大谷吉継に向かって戦闘を開始しました。この裏切り(寝返り)行為が勝敗を分けたと言われています。
正解:①
解説:9月21日に石田三成は東軍の追っ手に捕らえられます。石田三成、小西行長、安国寺恵瓊(えけい)と共に堺、大阪、京都と引き回しにされた後、京都の六条河原で斬首されました。
正解:①
解説:東軍の総大将は徳川家康ですが、西軍の総大将は毛利輝元。石田三成は西軍の中心人物(参謀)です。
正解:①
解説:石田三成の旗印は、大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)、もしくは大吉大一大万(だいきちだいいちだいまん)です。「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる」という意味とされています。
正解:①
正解:④
正解:②
正解:②
正解:①
正解:③
正解:④