正解:②
正解:④
解説:信玄の幼名は「太郎」。「甲陽軍鑑」によれば、勝千代(かつちよ)と名づけた説もあります。信玄は、武田晴信(たけだ はるのぶ)→武田信玄(出家後・法名)と改名しました。
正解:④
解説:兵法書「孫子(そんし)」は、中国春秋時代の思想家・孫武(そんぶ)が書いたとされる書物。中国の代表的古典とされる七大兵法書の1つです。
正解:④
正解:①
解説:躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)のトイレは、ひもを引いて鈴を鳴らすと係りの者が水を流すという水洗トイレでした。その水は風呂の残り湯を使っていたといわれています。さらに広さが6畳もあり、机もあったというから驚きです。
正解:①
正解:①
解説:1573年、三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、現在の静岡県浜松市で起こった戦い。三方ヶ原台地にて武田軍(27,000人)と徳川軍(11,000人)の間で行われました。武田軍の背後を突こうとした徳川側の読みは外れ、わずか2時間で大打撃を与えられ、徳川家康は敗走して浜松城に命からがら戻りました。この時、家康は恐怖のあまり馬の上でおもらしをしたと言われています。ちなみにこの時の失敗を反省して絵師に書かせた家康の「しかみ像」はとても有名な絵です。
正解:④
解説:武田信玄の軍旗に書かれている風林火山の「疾如風徐如林侵 掠如火○○如山」。これは、中国の兵法書「孫子(そんし)」に記された「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山」をアレンジしたものです。
正解:②
解説:恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市塩山小屋敷にある寺院です。 武田信玄が菩提寺(ぼだいじ)と定めた寺です。武田家が滅亡して織田信忠軍により寺の焼き討ちにあった時に燃える山門の上で住職の快川紹喜(かいせんじょうき)が言った「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」はとても有名です。
正解:②
解説:上杉謙信が正解です。甲斐の国は四方が山に囲まれ、海に面していないために塩が取れません。今川氏と北条氏の戦略により、甲斐の国へ塩を送るルートを経たれました。そこで、信玄を助けたのが長年のライバル上杉謙信です。「敵に塩を送る」には、いろいろな説がありますが「どんなに敵対していても、困った時は助け合う」といった良い意味があります。
正解:①
解説:新田次郎作 武田信玄 林の巻より
正解:④
解説:新田次郎作 武田信玄 風の巻より
正解:③
解説:新田次郎作 武田信玄 風の巻より
正解:①
解説:新田次郎作 武田信玄 林の巻より
正解:③
正解:④
正解:②
正解:④
正解:③
正解:③
正解:①
正解:②
正解:③
正解:①