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 真田幸村(信繁)検定 より
大坂夏の陣で赤備えの軍団を率いて徳川家康の本陣を後一歩のところまで追いつめた幸村。小説やゲームでも登場する武将としても人気の高い真田幸村から出題します。
 江戸の元禄時代に出版された真田昌幸、幸村(信繁)、大助の三代(親・子・孫)が徳川を相手に奮闘する歴史小説を何というでしょうか?
  1. 真田太平記
  2. 南総里見八犬伝
  3. 真田三代記
  4. 真田十勇士
制限時間:無制限
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難易度:
出題数:3670人中
正解数:1767人
正解率:48.15%
作成者:じっちゃん (ID:165)
No.出題No:12512
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①真田十人軍
②真田十軍団
③真田十雷神
④真田十勇士
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正解:④

解説:真田十勇士(さなだじゅうゆうし)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて真田幸村(信繁)に仕えたとされる10人の家臣のことです。小説など登場していますが、人物は実在と架空がおります。

①ひょうたん
②六文銭(ろくもんせん)
③真田十勇士
④永楽通宝(えいらくつうほう)※永楽銭
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正解:②

解説:真田幸村(信繁)の旗印である六文銭(ろくもんせん)は、亡くなった人を葬る時、棺に入れる冥銭(めいせん)を表しているといわれています。この六文は三途の川の渡し賃となるようです。ちなみに永楽通宝(えいらくつうほう)は、織田信長です。

①真田幸次郎信繁 (さなだゆきじろうのぶしげ)
②桔梗の花(キキョウ)
③真田佐々信繁 (さなださっさのぶしげ)
④真田源次郎信繁 (さなだげんじろうのぶしげ)
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正解:④

解説:本名は真田源次郎信繁 (さなだげんじろうのぶしげ)です。真田幸村(さなだ ゆきむら)という名前は、彼の死後に小説などの作品で使われた名前です。

①日吉丸
②真田太郎信繁 (さなだたろうのぶしげ)
③虎千代
④弁丸
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正解:④

①竹千代
②真田昌幸
③真田幸昌
④真田昌村
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正解:②

解説:真田幸村(信繁)の父・真田昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけて生きた武将です。信濃国の上田城での上田合戦(うえだかっせん)では、2度にわたって徳川軍を撃退したことで有名です。

①高知県
②佐賀県
③真田広之
④和歌山県
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正解:④

解説:九度山(くどやま)は、和歌山県北部に位置する町。関ケ原の合戦で敗れて、九度山に蟄居させられます。この町には伝説といわれる「真田のぬけ穴」などがあり、真田親子とのつながりの深い場所です。

①石田三成
②東京都
③徳川家康
④豊臣秀頼
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正解:④

解説:幸村(信繁)は、豊臣秀頼の参戦依頼を受けて、大坂冬の陣に出兵します。この時、使者は黄金200枚、銀30貫を持参したといわれています。

①白
②豊臣秀吉
③青
④黒
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正解:赤

解説:「真田の赤備え(あかぞなえ)」といわれ、真田軍は赤の鎧(よろい)で統一しました。

①赤
②31歳
③82歳
④49歳
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正解:④

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以下のクイズは、日本史B センター試験レベルより、出題しております。
説明:センターで出る正誤判定です。高校レベルの日本史の、基礎知識の確認に使ってください。
①死んだ者の怨霊や御霊を恐れるアニミズムという考えがみられた。
②代表的な遺跡に青森県の三内丸山遺跡がある。
③大型動物にかわりニホンシカやイノシシが多くなった。
④24歳
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正解:①

解説:「アニミズム」は、縄文時代ではありますが、自然現象への崇拝を指します。この文は、国風文化期の「御霊信仰」を説明しています。

①唐が滅亡した。
②意見封時十二箇条が出された。
③応天門の変が起こった。
④集団内の身分の上下関係や貧富の差はなかったと考えられる。
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正解:③

解説:応天門の変は、藤原良房が正式に摂政となった866年、つまり清和天皇の在位期の出来事です。伴善男が伊豆に流されました。

①菅原道真が左遷された。
②承久の乱後、朝廷監視のために六波羅探題が設置された。
③商品の輸送にあたる馬借や、高利貸業者の借上がいた。
④執権北条貞時のとき、永仁の徳政令で御家人所領の売買が禁止された。
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正解:③

解説:「馬借」は室町時代の運送業者です。「問丸」に変えれば正文になります。

①山崎闇斎
②度会家行は神本仏迹説をとなえ、伊勢神道を創始した。
③新井白石
④稲村三伯
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正解:④

解説:最初の蘭日辞書は「ハルマ和解」です。

①アジア市場への生糸輸出で大幅な貿易超過となり、好景気になった。
②西田幾多郎は、「善の研究」を著して独自の哲学体系を打ち立てた。
③シーメンス事件の発覚により、第一次山本権兵衛内閣は退陣した。
④杉田玄白
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正解:①

解説:第一次大戦期には、アジア市場へは綿糸、アメリカ市場へは生糸を輸出していました。

①『経済白書』に「もはや戦後ではない」と記された。
②2月1日に予定されていたゼネラル=ストライキが中止された。
③第二次護憲運動の結果、第一次加藤高明内閣が成立した。
④湯川秀樹が日本人初のノーベル賞を受賞した。
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正解:①

解説:「もはや戦後ではない」は1956年の経済白書に記されたものです。すでに日本は、1952年に独立を回復しています。 ゼネスト計画の中止…1947年 湯川秀樹ノーベル賞…1949年 下山事件、三鷹事件、松川事件…1949年の7月~8月

①下山事件などの怪事件が続発し、労働運動は打撃を受けた。
②東北地方には陸奥将軍府、関東地方には鎌倉将軍府をおいた。
③所領裁断には、天皇の綸旨が必要だとする法令を出した。
④建武式目により、当面の政治方針を明らかにした。
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正解:④

解説:「建武式目」は足利尊氏によって出されたものです。「建武」がついているので間違いやすいです。

①留学生であった阿倍仲麻呂は、唐の地で客死した。
②日中共同声明により、台湾の国民政府との国交は断絶した。
③日明貿易では主に、日本は銅を輸出し、木綿や絹織物を輸入した。
④「二条河原落書」は、この政治を風刺したものである。
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正解:③

解説:木綿を輸入したのは日朝貿易です。日明貿易では銅銭、生糸、絹織物が輸入されました。

①この調査の後、二・二六事件が起こった。
②調査を行ったときの首相は、広田弘毅である。
③下関条約で、日本は莫大な賠償金とともに台湾を獲得した。
④張作霖爆殺事件の調査を行った。
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正解:①

解説:二・二六事件は1936年 ×張作霖爆殺事件→満州事変 ×広田弘毅→斎藤実 ×国際連合→国際連盟

①調査団の報告の結果、日本は国際連合を脱退した。
②清和天皇のときに雑徭の日数が半減された。
③治部省は主に外交や仏事を担った。
④大宰府は南海道の行政を行った。
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正解:③

解説:×南海道→西海道 ×清和天皇→桓武天皇 ×男性の三分の一 →三分の二

①日露和親条約により、択捉島は日本領と定められた。
②正徳の治では、海舶互市新例(長崎新令)により貿易制限がなされた。
③ポルトガル商人の利益独占排除のため、糸割符制度が設けられた。
④蛮社の獄では、フェートン号事件の対応を批判した人物が処罰された。
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正解:④

解説:×フェートン号事件→モリソン号事件

①A:延久 B:清盛
②A:延喜 B:時忠
③A:延喜 B:清盛
④A:延久 B:時忠
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正解:④

解説:A 後三条(天皇)とあるので、延久の荘園整理令で記録所が設置された時のことだと分かります。

①「六分の一衆」と呼ばれた山名氏清が滅ぼされた。
②加賀の一向宗徒らが加賀国守護の富樫政親を倒した。
③北条時頼により三浦泰村一族が滅ぼされた。
④赤松満祐によって足利義教が殺害された。
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正解:④

解説:宝治合戦(三浦泰村)→明徳の乱(山名氏清)→嘉吉の変(足利義教)→加賀の一向一揆(富樫政親)

①女性が納める税は男性の三分の一にあたる租のみだった。
②村内には、田畑をもたない水呑百姓が存在した。
③田植えや脱穀に際して行われた村内での共同作業は、結と呼ばれた。
④街道近辺の村では、交通に馬などを差し出す伝馬役が課せられた。
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正解:犯罪の防止に連帯責任を負わせる仕組みを、村請制と呼んだ。

解説:×村請制→五人組

①コンピュータやロボットなどで、工場の自動化が進んだ。
②四大公害訴訟は、いずれも被害者側が勝訴した。
③生活様式の画一化により、中流意識が広まった。
④犯罪の防止に連帯責任を負わせる仕組みを、村請制と呼んだ。
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正解:①

解説:工場の自動化は、第二次石油危機後の1980年頃に進みました。

①紫式部によって、宮廷生活を題材とした「源氏物語」が著された。
②醍醐天皇の命で、最初の勅撰和歌集の「古今和歌集」が編纂された。
③自らの結婚生活を描いた「蜻蛉日記」が藤原道綱の母によって著された。
④1960年代後半には、いわゆる3Cの普及率が上昇した。
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正解:地方での生活を描いた「土佐日記」が、菅原孝標の女によって著された。

解説:×菅原孝標の女→紀貫之 菅原孝標の女といえば「更級日記」です。

①嵯峨天皇や空海らは唐風の書の名手として知られ、のち三筆とよばれた。
②藤原氏は勧学院を設け、一族の子弟の教育の場とした。
③漢詩文が流行し、「懐風藻」などの勅撰漢詩集が編纂された。
④仏像彫刻には、翻波式とよばれる表現技法が用いられた。
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正解:③

解説:「懐風藻」は勅撰ではありませんし、奈良時代に成立したものです。(天平文化に属する)