正解:①
解説:元々、江戸時代の銭湯は男女混浴だったそうですが、後に禁止されます。銭湯には、垢すりや髪すきなどをしてくれる男性がいてくれて、女性も恥ずかしがることもなく頼んでいたそうです。当初は湯女(ゆな)という女性もいましたが禁止され、男性の三助(さんすけ)が残りました。現代では考えられない制度ですが男性にとってはうらやましい仕事です・・・。
正解:貸しふんどし屋
解説:日本初といわれるレンタル業は、貸しふんどし屋。六尺ふんどしは、男性には欠かせないもので、1本248文(約3000円から4000円位)でした。ちなみにレンタル料金は60文(約600円から900円)で借り、洗濯をせずに返すことが出来きました。新しいふんどしと再び交換してくれるので便利だったそうです。
正解:切腹・斬首刑
解説:「斬捨御免(きりすてごめん)」は、武士が無礼を受けた場合は斬殺しても処罰されないという江戸時代の制度。万が一、武士が刀を抜いた時に相手に逃げられたり、相手から無礼を受けたことを証明できない場合は、切腹もしくは斬首刑、武士の身分を剥奪などの厳しい処分がありました。なので、実際のところは武士が町人、百姓を斬捨てるということはなかったそうです。
正解:②
解説:答えは「ウーロン茶」です。日本の国内でが飲まれ始めたのは明治時代に入ってからです。
正解:医者
正解:③
解説:語尾に「〜でありんす」、自分のことを「あちき」と言ったりする言葉を郭言葉(くるわことば)と言います。吉原など花街の遊女や花魁(おいらん)は、地方の出身者が多く、自分の生まれた地方の訛り(方言)を隠すためだったようです。
解説:江戸時代初期の頃、男性(武士)の間でヒゲを生やすことが大流行します。あまりの流行に風紀を乱すと考えた江戸幕府は、武士(但し老人は除く)に対してヒゲを生やすことを禁止する「大ヒゲ禁止令」を発令します。それ以降、ヒゲを生やした武士はほとんど見られなりました。
解説:キスは漢字で書くと「鱚」で、喜ぶという漢字が入っているので縁起がいいとされた。
解説:遊軒は熊沢蕃山、甘谷は山東京伝、芳宜は国学者加藤千蔭の雅号。
解説:細川重賢(1721〜1785)は熊本藩6代藩主です。堀勝名や蒲池正定などを奉行として、藩政改革を成功させ、上杉鷹山とともに名君として知られています。3つの逸話は、相撲観戦禁止のきっかけとなったのが、相撲ファンだった京極高朗、消防訓練マニアの浅野長矩は、本所の大名火消しで、江戸一と称えられました。徳川吉通は水泳が得意で、あるとき家臣に、巨大なプールを作らせた際、「水温が低い。」と言って温めさせたのだそうです。
解説:浅野長矩は従五位です。なので、殿中席は五位の外様大名用の柳之間になります。溜之間は、大阪城代や京都所司代などの役職の人物、雁、菊之間は古参以外の譜代の大名が使用していたそうです。
解説:他の三座はすべて歌舞伎座。朝日座と浪花座は幕末の道頓堀五座と呼ばれた。中村座は江戸三座の一つで、寛永期から200年余り続いた。
正解:④
正解:京都府
解説:伏見城(ふしみじょう)は、現在の京都市伏見区にあった城です。
解説:安土城(あづちじょう)は、滋賀県近江八幡市安土町下豊浦にあった織田信長の山城です。本能寺の変で信長の死後に城は焼失して、現在は城跡のみが存在します。
正解:金平糖(こんぺいとう)
解説:安土桃山時代に金平糖(こんぺいとう)、カステラ、カルメ焼き、ビスケットなどの南蛮(なんばん)のお菓子が外国の宣教師や商人によって伝えられました。当時このようなお菓子は、非常に高価な砂糖を使用していたため一般庶民の口には入りませんでした。
解説:西郷従道(さいごう じゅうどう・つぐみち)は、西郷隆盛の弟で幕末の頃の人物です。千利休、大友宗麟、細川ガラシャは安土桃山時代を生きた人物です。
正解:豊臣秀吉による明(中国)および朝鮮出兵
解説:1592年〜1598年文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)とは、豊臣秀吉の主導で朝鮮半島で行われた日本と明との間で行われた戦争です。
正解:西園寺公望(さいおんじきんもち)
解説:西園寺公望(さいおんじきんもち)は、1849年(嘉永2年)12月7日- 1940年(昭和15年)11月24日は公家、政治家です。第12・14代内閣総理大臣を務めました。
解説:天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名(大友宗麟、大村純忠、有馬晴信)により、ローマへ派遣された使節団です。伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノ4名の少年を中心に随員を加えて、ローマへ向かいました。この使節によって、ヨーロッパの人々に日本の存在が知られる様になり、またグーテンベルグ印刷機を持ち帰り日本で活版印刷が行われました。