正解:④
解説:細川勝元の子で管領を務めた。
正解:③
解説:松寿丸は毛利元就の幼名、春王丸は畠山義隆の嫡男、塩市丸は大友義鎮の弟。
正解:足利義晴
正解:①
正解:松野重元
解説:戦後、小早川秀秋を見限って田中吉政に家老として仕えた。その後、田中家が改易されると徳川忠長に仕えたが忠長が自害に追い込まれた為、流浪した。
解説:惟種は父、惟善は弟、惟前は大叔父・惟長の子
解説:永禄の変は足利義輝暗殺、稲村の変は里見氏の内乱(近年の研究では伝承と史実が正反対に)、弘治の内乱は温井総貞の暗殺によって端を発する能登畠山氏の内乱。
解説:妻は伊達稙宗の娘であった為、当初は稙宗方に与したが田村隆顕との諍いで晴宗方に寝返った。
正解:内藤宗勝
正解:一条房家
解説:父の教房も関白を務めた。政房は兄で応仁の乱の時に横死。房冬は嫡男。
正解:②
解説:1542年に採掘が始まった。
解説:龍伯は島津義久、伯囿は島津貴久、幸侃は伊集院忠棟の法名。
正解:九度山
解説:本来は高野山に落とされる筈であったが信繁が妻子を伴っていた為、九度山へ流罪に。高野山は女人禁制の為。
正解:野尻湖
解説:この時の行動は俗に「笄斬り」と呼ばれた。利家の笄を盗んだ事による。
解説:後に失明し、一揆方と手を組んだ富田長繁によって殺害された。
解説:浅井長政から罪人の始末を命じられた際、虎高が向かった所すでに高虎(当時は与吉)が討伐して首を取っていた為、これに感激して自分の名前を逆さにして名乗らせたと言う。
解説:横瀬浦→福田→長崎の順に開港した。
解説:1655年12月死去。
解説:那須七党とは那須氏・蘆野氏・伊王野氏・千本氏・福原氏・大関氏・大田原氏の事。
解説:一時、山名を称したが後に戻した。
解説:いずれの作品も重要文化財級の作品で安土桃山期の代表画家の一人。
解説:児玉就方は草津城、香川光景は仁保島城、桂元澄は桜尾城の城主を務めた。
解説:善慶入道として有名、他の三名は推進派。
解説:・主席正使は、伊東マンショ。 ・正使は、千々石ミゲル。 ・副使は、原マルチノと中浦ジュリアン。
解説:ミゲルは1601年に棄教を宣言し、「日本におけるキリスト教布教は異国からの侵略である」と述べた。
解説:・浅井畷の戦いは関ヶ原の戦いの地方戦の一つで、加賀の丹羽長重が五大老・前田利長(前田利家の子)を破った戦い。 ・沖田畷の戦いは島津家久(義弘の弟)、有馬晴信らが肥前の龍造寺隆信を破った戦い。 ・戸次川の戦いは島津家久が仙石秀久、長宗我部元親ら四国勢を破った戦い。
解説:・田原親賢、田北親周は、大友宗麟の直属の家臣。 ・志賀親守は、この戦いの軍監。
解説:・美作は、岡山県の北部。 ・大隅は、鹿児島県の東部と宮崎県の一部。 ・肥前は、佐賀県と長崎県。 ・日向は、宮崎県の大半。
正解:吉岡長増
解説:豊州二家老(吉岡長増、臼杵鑑速)・・・大友氏の内政を担当。 豊州三家老(臼杵鑑速、吉弘鑑理、立花道雪)・・・大友氏の軍事を担当。
解説:相良義陽は、肥後の戦国大名。人吉城を本拠とし、薩摩の島津氏の侵攻に対抗したが、敗れて降伏した。
正解:高山右近
正解:藤原道隆