正解:②
解説:1975年の日本シリーズ第6戦、本拠地西宮球場で、初の日本一が決定しました。 ウイリアムスは、瞬足強肩の右翼手として、入団1年目から日本一に貢献しました。
正解:②
解説:1972年は15本差を逆転してホームラン王になりました。
正解:①
解説:攻撃ではクリーンアップ、守備ではショート大橋との鉄壁の二遊間、4年連続パ・リーグ優勝の中心選手のひとりでした。
正解:④
解説:広い守備範囲、華麗なグラブさばき、深い位置からの矢のような送球、どれも一級品でした。
正解:④
解説:シーズン盗塁数、通算盗塁数の世界記録はのちにメジャーリーガーに破られてしまいましたが、今でもダントツの日本記録です。(2019年シーズン終了時点)
正解:②
解説:中日時代は一度も三割を打っていませんでしたが、阪急に移籍すると最初の年(1977年)に打率.325でパ・リーグ打率2位になるなど中心打者として活躍しました。
正解:②
解説:7回に森本の逆転ツーランで3対2と勝ち越した後、8回に福本のホームランも出て4対2で勝利し、日本シリーズ2連覇を達成しました。
正解:③
解説:同期の山田、福本とともに、阪急ブレーブス1970年代黄金時代を代表する選手のひとりでした。
正解:③
解説:1975年に11勝、1976年に12勝を挙げ、連覇に貢献しました。
正解:①
解説:1977年はシーズン7勝を挙げて、新人王になりました。
正解:①
解説:1番福本が出塁して盗塁、2番大熊が三塁へ進めて、3番加藤秀が返すのが、阪急の得点パターンでした。
正解:②
解説:日本のプロ野球史に残る快速球投手として、常に名前が挙がる選手のひとりです。
正解:①
解説:2019年までの日本シリーズの歴史で、3連勝のあと、3連敗した4チームのうち、最終戦で勝って日本一になったのは、この年の阪急ブレーブスだけです。相手の巨人は前日の第6戦で7点差を逆転して勢いに乗っていましたが、ベテラン足立投手の冷静なピッチングが光りました。
正解:③
解説:3年連続シーズンMVP。12年連続開幕投手。まさに「エース」でした。
正解:①
解説:通算350勝のうち328勝は阪急ブレーブス在籍時でした。
正解:②
解説:ノーヒットノーラン達成の戸田投手と日本シリーズ最終戦逆転ホームランの森本選手をその年のオフに放出したトレードはファンを驚かせましたが、移籍してきた稲葉投手と島谷選手の大活躍でこのトレードは大成功と言われました。
正解:①
解説:1977年の日本シリーズは最終戦で救援勝利。1978年日本シリーズは2勝3敗と後がない第6戦で完投勝利。左腕投手が少なかった当時の阪急で貴重な存在でした。
正解:③
解説:1971年入団後しばらく目立った活躍ができなかったが、1978年に大ブレーク。 その後、1981年と1984年に最多勝獲得、1984年の優勝にも大きく貢献した。
正解:④
解説:簑田のホームインの後、投手山田の勝ち越しタイムリー2塁打で勝利。第5戦も勝って、日本シリーズ3連覇を達成した。
正解:④
解説:指名打者としてクリーンアップを打っていた時代もありました。指名打者制がなかったら、もっと代打ホームランが増えていたかもしれません。
正解:③
解説:引退後、オリックス二軍打撃コーチとしてイチローを育てたことでも知られています。
正解:③
解説:38歳で日本シリーズ優勝監督となったのは、70回の日本シリーズの歴史で最年少記録である。
正解:③
解説:通算254勝は左腕投手では、金田正一、鈴木啓示に次ぐ歴代3位(2019年シーズン終了時点)。 引退後は投手コーチとしてパ・リーグ4連覇の投手陣を指導。監督としては1979年に後期優勝。
正解:②
解説:上田監督は中沢と河村の両捕手を競わせ、うまく使い分けていました。中沢選手の方が出場試合数が多く、一方河村選手は代打としても活躍しました。
正解:②
解説:近鉄の監督に就任後、1979年のプレーオフで阪急のパ・リーグ5連覇を阻止しました。阪急、近鉄の多くの選手に恩師として慕われました。
正解:①
解説:1972年から1983年までこの帽子が使われました。
正解:④
解説:丸首、ベルトレスで、黒と赤を基調としたユニフォーム。 このユニフォームの8年間、日本一3回を含むリーグ優勝5回、それ以外の年も必ず前期か後期のどちらかは優勝していました。
正解:②
正解:②
正解:③
解説:ちなみにコーポレートマークは昔のHの記号になっています。
正解:①
解説:6610と6510は暫定T車です。
正解:④
解説:ちなみに8032f+7014fは8032f+7017fになりました。
正解:③
解説:yahooブログから情報入手