1970年代の阪急ブレーブス黄金時代に関する検定です。
公式戦284勝、さらに日本シリーズ6勝、オールスター7勝、パ・リーグプレーオフ3勝を加えるとちょうど300勝となる阪急ブレーブス黄金時代のエースは?
制限時間:無制限
背番号17
難易度:
出題数:40人中
正解数:32人
正解率:80%
作成者:かずひろ (ID:19670)
出題No:16391
最高連続正解数:0 問
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①長池徳二
②福本豊
③山口高志
④簑田浩二
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正解:バーナード・ウイリアムス
解説:1975年の日本シリーズ第6戦、本拠地西宮球場で、初の日本一が決定しました。
ウイリアムスは、瞬足強肩の右翼手として、入団1年目から日本一に貢献しました。
①バーナード・ウイリアムス
②長池徳二
③加藤秀司
④ダリル・スペンサー
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正解:②
解説:1972年は15本差を逆転してホームラン王になりました。
①島谷金二
②ロベルト・マルカーノ
③高井保弘
④バーナード・ウイリアムス
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正解:②
解説:攻撃ではクリーンアップ、守備ではショート大橋との鉄壁の二遊間、4年連続パ・リーグ優勝の中心選手のひとりでした。
①阪本敏三
②住友平
③大橋穣
④簑田浩二
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正解:③
解説:広い守備範囲、華麗なグラブさばき、深い位置からの矢のような送球、どれも一級品でした。
①大橋穣
②井上修
③簑田浩二
④福本豊
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正解:④
解説:シーズン盗塁数、通算盗塁数の世界記録はのちにメジャーリーガーに破られてしまいましたが、今でもダントツの日本記録です。(2019年シーズン終了時点)
①ロベルト・マルカーノ
②加藤秀司
③高井保弘
④島谷金二
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正解:④
解説:中日時代は一度も三割を打っていませんでしたが、阪急に移籍すると最初の年(1977年)に打率.325でパ・リーグ打率2位になるなど中心打者として活躍しました。
①福本豊
②長池徳二
③加藤秀司
④森本潔
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正解:④
解説:7回に森本の逆転ツーランで3対2と勝ち越した後、8回に福本のホームランも出て4対2で勝利し、日本シリーズ2連覇を達成しました。
①加藤秀司
②福本豊
③長池徳二
④長池徳二
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正解:①
解説:同期の山田、福本とともに、阪急ブレーブス1970年代黄金時代を代表する選手のひとりでした。
①今井雄太郎
②ロベルト・マルカーノ
③戸田善紀
④山田久志
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正解:③
解説:1975年に11勝、1976年に12勝を挙げ、連覇に貢献しました。
①佐藤義則
②佐藤義則
③松本正志
④三浦広之
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正解:①
解説:1977年はシーズン7勝を挙げて、新人王になりました。
①阪本敏三
②簑田浩二
③山口高志
④住友平
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正解:大熊忠義
解説:1番福本が出塁して盗塁、2番大熊が三塁へ進めて、3番加藤秀が返すのが、阪急の得点パターンでした。
①大熊忠義
②佐藤義則
③松本正志
④山田久志
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正解:山口高志
解説:日本のプロ野球史に残る快速球投手として、常に名前が挙がる選手のひとりです。
①山口高志
②戸田善紀
③山田久志
④足立光宏
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正解:④
解説:2019年までの日本シリーズの歴史で、3連勝のあと、3連敗した4チームのうち、最終戦で勝って日本一になったのは、この年の阪急ブレーブスだけです。相手の巨人は前日の第6戦で7点差を逆転して勢いに乗っていましたが、ベテラン足立投手の冷静なピッチングが光りました。
①山田久志
②米田哲也
③梶本隆夫
④足立光宏
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正解:②
解説:通算350勝のうち328勝は阪急ブレーブス在籍時でした。
①白石静生
②竹村一義
③山口高志
④稲葉光雄
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正解:④
解説:ノーヒットノーラン達成の戸田投手と日本シリーズ最終戦逆転ホームランの森本選手をその年のオフに放出したトレードはファンを驚かせましたが、移籍してきた稲葉投手と島谷選手の大活躍でこのトレードは大成功と言われました。
①島野修
②島野修
③竹村一義
④稲葉光雄
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正解:白石静生
解説:1977年の日本シリーズは最終戦で救援勝利。1978年日本シリーズは2勝3敗と後がない第6戦で完投勝利。左腕投手が少なかった当時の阪急で貴重な存在でした。
①足立光宏
②白石静生
③山田久志
④今井雄太郎
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正解:④
解説:1971年入団後しばらく目立った活躍ができなかったが、1978年に大ブレーク。
その後、1981年と1984年に最多勝獲得、1984年の優勝にも大きく貢献した。
①平林二郎
②松永浩美
③山口高志
④福本豊
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正解:簑田浩二
解説:簑田のホームインの後、投手山田の勝ち越しタイムリー2塁打で勝利。第5戦も勝って、日本シリーズ3連覇を達成した。
①加藤秀司
②長池徳二
③河村健一郎
④高井保弘
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正解:④
解説:指名打者としてクリーンアップを打っていた時代もありました。指名打者制がなかったら、もっと代打ホームランが増えていたかもしれません。
①岡村浩二
②種茂雅之
③河村健一郎
④中沢伸二
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正解:③
解説:引退後、オリックス二軍打撃コーチとしてイチローを育てたことでも知られています。
①梶本隆夫
②中田昌宏
③簑田浩二
④西本幸雄
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正解:上田利治
解説:38歳で日本シリーズ優勝監督となったのは、70回の日本シリーズの歴史で最年少記録である。
①米田哲也
②足立光宏
③上田利治
④山田久志
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正解:梶本隆夫
解説:通算254勝は左腕投手では、金田正一、鈴木啓示に次ぐ歴代3位(2019年シーズン終了時点)。
引退後は投手コーチとしてパ・リーグ4連覇の投手陣を指導。監督としては1979年に後期優勝。
①河村健一郎
②岡村浩二
③種茂雅之
④中沢伸二
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正解:④
解説:上田監督は中沢と河村の両捕手を競わせ、うまく使い分けていました。中沢選手の方が出場試合数が多く、一方河村選手は代打としても活躍しました。
①上田利治
②西本幸雄
③梶本隆夫
④中田昌宏
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正解:②
解説:近鉄の監督に就任後、1979年のプレーオフで阪急のパ・リーグ5連覇を阻止しました。阪急、近鉄の多くの選手に恩師として慕われました。
①赤地に白いHマーク、黒いひさし
②梶本隆夫
③黒地に白いHマーク、赤いひさし
④黒地に赤いHマーク、赤いひさし
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正解:④
解説:1972年から1983年までこの帽子が使われました。
①黒い胸文字と背番号、黒いアンダーシャツとストッキング
②黒地に赤いHマーク、黒いひさし
③赤い胸文字と背番号、黒いアンダーシャツとストッキング
④黒い胸文字と背番号、赤いアンダーシャツとストッキング
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正解:③
解説:丸首、ベルトレスで、黒と赤を基調としたユニフォーム。
このユニフォームの8年間、日本一3回を含むリーグ優勝5回、それ以外の年も必ず前期か後期のどちらかは優勝していました。
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説明:阪急電鉄の編成検定です。(6000f後ろから2両目は? みたいな感じです。ちなみに答えは6614)
①2両目と6両目
②3両目と6両目
③赤い胸文字と背番号、赤いアンダーシャツとストッキング
④2両目と7両目
①8230形
②8200形
③8290形
④3両目と7両目
①8250形
②7516と7575
③7616と7605
④7516と7605
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正解:③
解説:ちなみにコーポレートマークは昔のHの記号になっています。
①6114
②6510
③6014
④7616と7575
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正解:①
解説:6610と6510は暫定T車です。
①8031f+7013f
②6610
③8031f+7003f
④8031f+7006f
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正解:④
解説:ちなみに8032f+7014fは8032f+7017fになりました。
①10月13日
②8031f+7014f
③10月8日
④10月3日
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正解:③
解説:yahooブログから情報入手