正解:②
解説:正解は「G.F.ヘンデル」でした。ヘンデルはあらゆる分野に膨大な作品を残しており、中でもオペラやオラトリオのような劇作品の作曲に優れ、後世に多大な影響を及ぼしています。ベートーヴェンが敬愛していたものヘンデルです。 モーツァルトは「神童」。ベートーヴェンは「楽聖」。ラヴェルは「管弦楽の魔術師」と呼ばれています。
正解:③
解説:正解は「L.v.ベートーヴェン」でした。ヴェルケ・オーネ・オープスツァールと 呼ばれています。ベートーヴェン自身が付けた作品番号のないものにドイツの音楽学者キンスキーと、文献研究家ハルムがつけた整理番号です。 J.ハイドンは「Hob.」ホーボーケン。ハイドンの作品をオランダの音楽学者ホーボーケンが楽曲形態ごとにまとめた整理番号です。F.シューベルトは「D.」ドイチュ。シューベルトの作品にオーストリアの音楽文献学者ドイチュが作品年代順につけた整理番号です。バルトーク・ベーラは「Sz.」セーレーシ。アンドラーシュ・セーレーシによるものです。
正解:③
解説:正解は「Tp」でした。移調楽器で一般に多用されるものはB♭管(実音の長2度上)なので、原曲の調性がハ長調ですと、ニ長調で記譜されています。 「Cl」はクラリネット。「Hr」はホルン。「Tb」はテューバでした。
正解:④
解説:正解は「オーボエ」でした。 オーボエのA(ラ)の音に、管楽器群が合わせ、コンサートマスターがその音を取り、コンサートマスターの音にオーケストラの全員が合わせていきます。オーケストラはオーボエの第一声なしには始められないのです。
正解:④
解説:正解は「譜めくりの直前に休符の小節があるようになっている」でした。 オーケストラの弦楽器の場合には、2人で1つの楽譜を読んでいます。譜めくりは一方の演奏者が、弾くのを演奏を中断して譜めくりします。通常はステージから見て奥側に座っている奏者がめくります。
正解:①
解説:正解は「シンバル」です。 全体で40分余りの交響曲の中で、この一発のためだけにシンバルパートは、 曲の最初から舞台に入って、ひたすら休符の数を数えているのです。 いくら練習で何度も通しているとはいえ、聴衆が入った会場の緊張感の中、ただ 一度きりの出番です。本当にご苦労様というところですね。
正解:②
解説:正解は「モーリス・ラヴェルの「ボレロ」」です。 クラシック音楽を取り上げた番組で、際立った「特色のある曲」として、紹介さ れることの多い楽曲です。1楽章のみの、演奏時間にして約15分程度のものです。 特色としては、問題文にもあった楽曲の最初から最後まで小太鼓が「出ずっぱり」 であることがまず上げられます。小太鼓は同じボレロの基本リズムをひたすら曲の最初から最後まで叩き続けます。
正解:②
解説:正解は「ハンマー」です。 交響曲第6番のマーラーの管弦楽の扱いでは、管楽器と打楽器の拡大が目立ち、打楽器が象徴的な意味を持って使用されています。ハンマーは第4楽章で使用され、音楽的な転回点で「運命の打撃」の象徴として打たれます。この交響曲には他にも変わった楽器が使用されています。カウベル(ヘルデングロッケン)が、第1、第3、第4楽章で安息・平和、或いは現実逃避的な世界の表出を醸し出しています。また、第4楽章では教会の鐘を模した低音のベルが鳴らされます。
正解:①
解説:正解は「序曲「1812年」変ホ長調作品49」です。 大砲の代わりにバス・ドラムが使用されることもありますが、スコア(総譜)上には、様々な打楽器に混じって、確かに「大砲(Cannon)」の指定が見られます 。 「ポルカ「狩」」はヨハン・シュトラウスの作曲で、ピストルの音が使われます。 「戦争交響曲「ウエリントンの勝利」」は、ベートーヴェンの作曲で、大砲とマスケット銃が指定されています。「交響曲第11番ト短調「1905年」作品103」は、ショスタコーヴィチの作曲です。
正解:①
解説:正解は「リムスキー=コルサコフ」です。 悪魔の集会に出くわしてしまった旅人の恐怖や滑稽さを上手に表現した音楽構成 はよく知られています。近年では、ムソルグスキーの原曲の演奏も行われるようになりましたが、私の個人的主観では、やや野暮ったい感じで、鐘が鳴って、朝が来てのクラリネットの名旋律はやはり、リムスキー=コルサコフに一日の長があると感じます。ところで、朝を告げる鐘、何回かご存じですか。
正解:④
解説:正解は、シューマン「交響曲 第1番『春』」でした。 1841年1月〜2月の短い期間に作曲されました。 スケッチからオーケストレーションまでの作業を考えると、これは早い!! 各楽章にも次のような表題がシューマンによって付けられています。 第1楽章「春の始まり」 第2楽章「夕べ」 第3楽章「楽しい遊び」 第4楽章「たけなわの春」
正解:④
解説:正解は、「終楽章で最後には誰もいなくなる」でした。この交響曲は4楽章構成で通常のJ.ハイドンの交響曲のスタイルに則っています。終楽章である第4楽章、イ長調を主な調性として、嬰ヘ短調に転調するたびに楽員が席を立ち去って行くように作曲されているのです。それは、第1オーボエと第2ホルンから始まり、最終的に弱音器をつけた2人のヴァイオリン奏者のピアニッシモの音で終わります。この声なき訴えに、賢明な君主のエステルハージィ候は気づき、翌日には領地に帰省をするのです。
正解:④
解説: 正解は、「静かな演奏の後、びっくりするような大音量の和音が鳴らされる」でした。演奏会場で居眠りしている婦人方を起こすために書いた、という逸話が残されています。さらに、第2楽章には他にも「驚愕」することはあります。Andanteのゆったりとした楽曲ですが、なぜかトランペットが用いられているのです。今でこそ、珍しくないオーケストレーションですが、J.ハイドンの当時には、「常識はずれ」な試みが密かに行われているのです。
正解:②
解説:正解は、「交響曲 第37番 ト長調 K.444 (425a[Anh.A53])」でした。今日のモーツァルト研究では、モーツァルトに「交響曲 第37番」は存在せず、最新の作品目録では交響曲の第37番目は「欠番」となっているのです。その他の3曲には、全て「ジュピター音型」が登場します。また、他にも「ミサ曲 ハ長調 K.257」等にも顔を出しています。更にモーツァルトだけではなく、当時の作曲家の作品にも「ジュピター音型」が用いられています。「シャコンヌ」と同様に、宗教的意味合いを持って、古くから採用されていた動機だったという説があります。
正解:④
解説:正解は、「A、C、D、B」でした。 記号を作曲年順の古い順に並べると次のとおりです。 A:J.ハイドン「交響曲 第45番 嬰ヘ短調『告別』」(1772年作曲) C:W.A.モーツァルト「交響曲第36番 ハ長調『リンツ』」(1783年作曲) D:W.A.モーツァルト「交響曲第41番 ハ長調 『ジュピター』」(1788年作曲) B:J.ハイドン「交響曲第94番 ト長調『驚愕』」(1791年作曲)
正解:④
解説:正解は、「管弦楽の主題提示の前に独奏ピアノのソロがある」でした。 厳密に言えば、管弦楽による変ホ長調の主和音が先に出ますが、ベートーヴェン以前のピアノ協奏曲では、協奏曲ソナタ形式に従い、管弦楽が主題提示をひとしきり奏でた後にピアノ独奏が始まります。冒頭でピアノのカデンツァと見まごうソロがあるため、ベートーヴェンは全3楽章に独奏ピアノを弾くピアニストが自らのファンタジーを聴衆に披露する見せ場「カデンツァ」を許していないのです。楽譜にも、本来、カデンツァが置かれるべき場所(コーダに入る前)にわざわざ「カデンツァは不要」と指示しています。
正解:①
解説:正解は、「第2楽章と第3楽章が繋がっている」でした。 第2楽章の最後で次の第3楽章の主題を変ホ長調で予告し、アタッカ(attaca il Rondo)「休まずに続けて、ロンド楽章に入る」の指示を設け、第3楽章になだれ込む手法をとっています。また、第3楽章の再現部の前で第2楽章の上記のフレーズを出現させ、第2楽章と第3楽章との一体感を出しています。これは、『皇帝』よりも先に作曲された「交響曲第6番」や「交響曲第5番」でも試みられ、『皇帝』にそれらの結実がみられると言ってよいでしょう。
正解:①
解説:正解は、「ホルンが長い音をpp(ごく弱く)で、ずっと吹き続けている」でした。 『皇帝』は「第2楽章と第3楽章が繋がっている」のですが、実はホルンが独奏ピアノに付き添うように、計12小節を延々と音を引き延ばしています。しかもホルンの弱点である「pp(ごく弱く)」で。ホルンは2管編成なので、一つの音ならカンニンブブレスで奏者2人で何とか乗り切れますが、まずいことにベートーヴェンは、この12小節の延ばしをホルンのオクターブと記しているのです。さらに、この時点で音を出しているのは、独奏ピアノとホルン2管だけ。ホルンは丸見えなので、かすかな音を延ばし続けるしか方法がないのです。これは厳しい。
正解:①
解説:正解は、「W.A.モーツァルトの「ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K.491」」でした。「第20番 ニ短調 K.466」と共に、多数作曲されたモーツァルトのピアノ協奏曲の中、珍しい短調で書かれています。また楽曲のイメージは、半音階の陰陽が交わりながらも、明るく伸びやかなモーツァルトの作風と異なり、暗い情念に支配されています。むしろ「ベートーヴェン的」と表現することが適当とも感じられます。第1楽章の第1主題のハ短調の主和音で始まりながらも、不安定な和音進行をぎくしゃくと続ける動機は、その後も繰り返し第1楽章の中で姿を現します。
正解:③
解説:正解は、「メンデルスゾーン」でした。 1841年3月末、メンデルスゾーン指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演されました。メンデルスゾーンは他にも、「交響曲第2番 ハ長調 作品61」の初演も指揮しています。「交響曲第4番 ニ短調 作品120」の初演の指揮も計画しましたが、体調不良のため断念しています。初演は、1841年12月にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とメンデルスゾーンの代役でコンサートマスターのF.ダーヴィトが行いました。ただ、「交響曲第4番 ニ短調 作品120」の改訂版の初演は、シューマン自身が1853年12月にデュッセルドルフにおいて行っています。